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「ぱんぽん」投稿記事

 大学卒業後、民間企業の研究所で28年間在籍した際、近くの工場の文芸誌「ぱんぽん」誌の巻頭のコラム「ひたちスコープ」の執筆を隔刊で10年を超えて(2001年3月から2014年9月まで)担当させていただきました。技術者の視点で世の中の動向やイベントから、感心したこと、思いついたことをエッセイとしています。執筆当時のことは過去のものですが、考え方は今も変わっていないと思うことがあります。ご参考になれば。

                            中島 啓介

積み上がった本

社内文芸誌「ぱんぽん」​へのエッセイ「ひたちスコープ」投稿

309:「世界を語り、世界と競う」(2014.9.10)

☆自分の過去を語る価値

 アナウンサーの西任暁子さんが講演で、「話すことは人間にとって快楽である」、しかし「人は自分に関係のない話は聞けない」、だから「スピーチは、日常会話とは異なり、きわめて意識的な行為であるべき」で、「話す内容と順番に関して、万全の準備が必要とされる」と説かれていた。

 先輩の講話から若い方の体験談まで、いろいろなスピーチを聞く機会があるが、自分の過去を語ることに意味を求める人が少なくない。貴重な他人の時間を奪わないためにも、聞く人にとって、どれだけの価値をもたらすかを、十分に検証するべきであろう。

☆視点を上げる

 聞き手が求める話をするのは難しいことであるが、それは決してテクニックの問題ではない。自分の話したい内容は、たぶん相手が聴きたい内容ではない。ほとんど相手とは無関係のことであろう。聞き手の関心のある話まで歩み寄る努力が必要なのである。

そのためには、どうしても視点を上げる必要がある。固有名詞の過去の物語から離れ、そこから何を学ぶべきか、教訓とすべきかという抽象的な世界に昇華し、そこから現実の世界を見直す必要がある。そうすれば、自分と自分の周りの世界を語ることとなり、未来を語ることとなる。

☆世界と戦う戦略

 オリンピックが最も顕著であるが、サッカーや野球などスポーツで、世界との競争を身近に感じることができる。そこでは体格や技術のみならず、戦略の差に愕然とすることがある。

日本の選手たちが、次のプレーに四苦八苦しているときに、相手は、次の次どころか、結末までのストーリを全員が共有しているのではないかと思うことさえある。

 ビジネスの世界でも同じような事が起こる。予期しない大きな動きは、トップの瞬時の判断というよりは、早い時期からの周到な準備の成果ではないだろうか。

☆本質に迫る力

 西任さんは、「変化を起こそうとすると本能が反対をする」とも述べていた。生命を守ろうとする原始的(爬虫類的)な脳が、変化をやめさせようとするとのこと。

 しかし、変化の激しいグローバル競争の時代に、今までのやり方を守り続けることは、敗退を意味する。リスクを覚悟して、新しいやり方を模索し、議論し、合意しなければならない。

世界と競うためには、日常的に、高い視点を持ち、顧客の求める本質に迫らなければならない。そのためには、眼前の仕事に全精力を使い果たすのではなく、次の手を考える時間と工数を確保すべきである。そして、やるべきでない無駄を排除し、今やるべき有効な手を打ち続ける必要がある。もっともっと技術者が、自分を取り巻く世界と未来について語らなければならない時代が来ている。(な)

 

307:「新しい時代への贈り物」(2014.3.10)

☆東京オリンピック

 2020年の東京オリンピックが決定した。候補都市の招致のプレゼンを見て、日本は「現在」をうまく語れたと思った。「過去」を語ったマドリードよりも、「未来」を語るイスタンブールよりも迫力があった。日本人が苦手とするプレゼンや質疑応答を、背伸びせずに、飾らずに、日本人らしく誠実に取り組んでいる姿勢も良い印象を持った。

 また、様々な分野、立場の方々が本気で招致に取り組んでいることも良く伝わった。

☆「レガシィ」の再定義

 しかし、日本のプレゼンの中で「レガシィ」という言葉が使われ、聞いていて、違和感を持った。コンピュータ分野、特にソフトウエアの開発に関している人は、マイナスのイメージを持ったに違いない。

この分野の人は、「legacy」は、日本語に直訳すると遺産、遺贈、受け継いだもの、遺物となるが、どちらかというと、「お荷物」というニュアンスを持って使っている。必要ではあるのだけれど、新しい技術で置きかえられない(もしくは、時間やコストがかかる)ので、仕方なく引き継いでいるという後ろ向きのとらえ方である。

 しかし、招致のプレゼンでは、ハードウエア的側面に着目し、過去の施設や建造物を有効に利用して、無駄な投資をしないという意味で使われていた。

 昔の日本の建造物は長期間保存できているのに、現代の建物は、壊して、作り変えるほうが低コストなのであろうか、すぐ消えてなくなってしまう。使える遺産は、新しい観点で積極的に見直し、もっと手を入れて有効に活用すべきである。その手本になると良いと感じた。

☆「ゆとり教育」の意味

 レガシィは、建物やハードウエアだけではない。教育システムや政治システムもレガシィであろう。「ゆとり教育」を受けた世代と話をすると、マスコミが宣伝するように、「ゆとり教育が間違い」であったと結論付ける必要はないという。

 めざした方向は決して間違っているとは思えない。しかし、そのやり方がうまくいく条件や実行する前提が整っていたかというと疑問があるとのこと。

 条件を整えるのは、簡単でない。時間がかかるからこそ、走りながら、考えて、修正する必要がある。それゆえに、大胆に変えていく勇気を持ち続ける必要があろう。

☆「レガシィ」活用を競争力に

 これから、オリンピック招致のみならず、さまざまな分野で、多様なレベルで世界と競争し、勝ち抜いていかねばならない。

 このとき、「レガシィ」を、新しい時代に活用する方法を確立し、次の時代への「レガシィ」にしていける知恵を集めていくことこそ、世界との競争力の原点になるのではないだろうか。

(な)

305:「仕事と家庭を両立させる」(2013.9.10)

☆良い習慣は才能を超える

 東レ経営研修所の佐々木常夫さんの講演を聴かせていただいた。先号の「部長さんの私の一冊」にも紹介されているのでご存知の方も多いかもしれない。氏は、計画を先行させ、戦略的にやれば、仕事は半減できると提案する。つまり、仕事が発生したときに、どこまでやるべきか品質基準を決め、関係者と合意することで余計な作業を排除できる。また、過去の事例を整理しておき、結果を予測しながら進めれば最短コースを選べる。これらの「良い習慣」を継続すれば、自分より優れた「才能」を持つ人たちを超えることができると説く。

 そう考えれば、「長時間労働は、『プロ意識』、『バランス感覚』、『羞恥心』の欠如」によるものだとの厳しい指摘も、ある意味で納得できる。

☆逆風の場での時間管理

 氏の仕事術は、障がいを持つ長男、深刻な病気に苦しむ妻を支えながら、仕事と家庭を、どう両立させるかの工夫と哲学から生まれている。逆風であるからこそ、時間を予算化し、何が最も大事なのかを正確に把握し、配分することが不可欠である。時間は作り出すこともできると説く。

 この経験をもとに、氏は「多くの人が悩みやハンディを抱えている」、「ちょっとした手助けで、その人たちが活躍することができる」という考え方で、各種のボランティア活動や公的な活動にも力を入れられているとのこと。

☆やり方を変える

 日々の仕事を顧みて、会議や資料、コミュニケーションなど「過剰品質」な部分を指摘するのは簡単だ。しかし、それを「過剰」であると判断し、排除する勇気を持つことは、かなり難しい

 しかし、これからグローバルな競争に勝ち抜いて、「トップ企業」を続けていくためには、いままでの「仕事のやり方」を変えていく必要がある。そして「やり方」を変えるために、「ルール」の見直しが必要であれば、時間と工数をかけて変更すべきである。それは、後に続く人財のために、「未来の時間」を確保することにつながるからである。

☆自分を楽しむ

 仕事と家庭や趣味、ライフワークを両立させることは永遠の課題かもしれない。そのギャップで、自分を見失いかけるケースもあるだろう。それを運命としてあきらめるか、自分を鍛える場として取り組むかで大きな差が生まれる。この分かれ目は、「自分を楽しむ」ことができるかどうかではないだろうか。

 「仕事を楽しむ」ためには何が必要か、「家庭や趣味を楽しむ」ためには何が求められるのか、そのために現在何ができるのか考えてみたい。今、できることは限られている。しかし、時間をかければできることは多い。一説によると会社員は一生のうちに約十万時間働くという。残された時間が多い方は、「自分を楽しむ」ための、より多くの布石を打つことができるということだ。(な)

303:「自分たちの未来を設計する」(2013.3.10)

 社内有識者と話をすると自然に『これからの日本は、どうなっていくのだろう』とのテーマになる。円高による海外移転の加速化、技術流出による製品競争力の低下などで、国内での「ものづくり」が縮小し、雇用さえ確保できるのかとの危惧もある。政治家のみならず、技術者さえも、明るい日本の未来を展望できない時代になってきた。

 国内市場の拡大は見込めないため、グローバルな市場での競争は不可避であろう。しかし、『競争』に勝つことがすべてだとは思えない。だからといって、『競争』から、『協創』へ転換することは、簡単ではなさそうだ。なぜなら、同じ市場を狙うライバルと『闘争』でもなく、『逃走』でもない、新しい関係を築く必要があるからからだ。

☆「知の巨人」の原点

 新聞で写真展「立花隆の書棚」が新宿御苑脇で開催されることを知り、見させていただいた。評論家、立花隆の蔵書は10万冊を超えるという。写真家が、氏の東京都内にある3カ所の仕事場や書庫の本棚を写真に収め、蔵書目録として展示したものであった。小説から科学書、哲学書、宗教書、全集、画集など、氏の興味の広さ、好気心の深さを推察できた。見覚えの本があるか探してみたが、十数冊にとどまった。

 ぎっしりと詰まった本棚を眺めながら、『知の巨人』たる氏の原点を見る思いがした。様々な考え方を吸収し、自分の中で発酵させ、複数の視点で本質に迫っていく。ここに日本人らしさがあり、日本の強みがあるのではないかと感じた。

☆本質に迫る迫力

 『良いものを安く作れば売れる』時代は終った。購入者に対する魅力が無ければ、見向きもしてもらえないし、半年経てば、半値で売られてしまう時代である。

 もっと、もっと『魅力』とは何かを、掘り下げるべきであろう。ユーザの潜在ニーズを掘り起こすサプライズであるかも知れないし、新しい時代の予感かもしれない。しかし、何と言っても、それを生み出す技術者達の人間的魅力が備わっていることが望まれよう。技術者達が、期待し、感動し、楽しむ姿が、必ず製品に反映するはずだ。

 人間的魅力には、表面的な部分だけでなく、内面の考え方やそれを支える教養や素養が重要である。それは、ものごとを、新しい全体観、歴史観で捉え、本質に迫る迫力を持つことにつながる。これは、世界的に見て、日本人が最も優れた才能を持つ分野であると考えている。

☆新しい教育

 この才能をのばすには、現在の学校教育システムは充分ではないとの指摘が繰り返されるが、具体化が進まないようだ。ものづくりの現場から、新しい観点で、新しい発想で教育に対するニーズを社会に提示すべきである。(な)

301:「出会いの価値」(2012.6.11)

 フェイスブックを使えば、見知らぬ人に簡単に出会え、ツイッターなら大勢の人と意思疎通できる。フェイスブックの「いいね」やツイッターの「つぶやき」による感覚的な印象の交換は、好みや考え、環境の近い人を探すのには有効で、アラブの春などの民主化に大きく貢献した。しかし、人と人の出会いの価値を向上させたかどうかは、時を経ての評価を待つしかなさそうだ。

☆関係を深める

 さて、人と人は、どんな方法で、関係を深めていけばよいのだろうか。そもそも、利害関係もない仮想空間において関係を深めることなど可能なのであろうか。結論から言えば、それは可能であるしそのことは歴史が証明しているといえる。つまり、ネットワークの通信規格RFC、LINUX、Wikipediaなどは利害関係と関係なく、世界のボランティアたちがアイデアを持ちより、知的作業に貢献してくれた。今後、個人レベルでも同様のことが進むのではないか。自分の過去の経験や知識を持ち寄って今までになかったアイデアを創出しブラッシュアップし、様々な人の様々なレベルでの問題や課題を解決していく。それを楽しみ、喜びを分け合う。そんなことも可能になるのではないだろうか。実際に、いくつかの動きもあるようだ。今後どんどん組織化させるべきであろう。

 経験と知識から生まれる知恵と相手の心にしみる対話を組み合わせ、今までになかった出会いの場を演出する。それは、アイデア創出の加速器であり、ブラッシュアップのための触媒である。言葉や論理を視覚化し二人が共有する場を全く新しい景色を作り出し提供する。

☆絶景は足下に

 これからの日本は、「ものつくり」だけにこだわっていては閉塞感を脱却できない。「ものつくり」から、より上流の「ことおこし」へ個人的な「つぶやき」から社会を動かす「語りかけ」へ大きく意識を変えていく必要がある。われわれ技術者の力を過小評価してはいけない。われわれは、新しいものを作り出すことができる。様々な問題や課題を、解決する鍵を持っている

 問題点を明確化し、もやもやとした疑問や漠然とした不安を取り払う。議論すべき手順と優先順位をガイドする。そして、過去から未来に続く道筋を明らかにして、他の可能性と俯瞰しながら提示し、他の方法と比較する。

 この時間と空間を超えて、相手と自分との緊張感の上に作られるこの場は絶景と言えるだろう。これを夢物語と言う人がいるかも知れない。しかし、構成要素は現時点で充分そろっていると言える。

 改善された自然言語処理と機械学習の組み合わせを必要とするかもしれない。あとは、システム化のアイデアとエネルギーによってかならずや常識を破壊し、新しいしくみを創造することができる。(な)​

299:「将来への教訓」(2012.3.12)

 震災から約一年。復興の兆しはあるものの、復旧にはまだ時間が必要となりそうだ。今回の教訓を将来に活かすべく、これまでの安全への考え方、異常事態時の対処方法などの検証が進められている。安全に関しては、根本的な見直しが必要とされそうだ。先日、参加した講習会で、「日本人は、『もしAならばB、そうでなければC』と論理的に考えるべきところを、『AなのでB』と考えてしまいがちだ」と、米国で教鞭をとる日本人教授が指摘していた。今後、グローバル化が進むと、「想定外」の事態が日常的になるであろう。自分にとって都合が悪いことも起こりえるのだと、考え方を変えていかねばならない。

☆リーダーの要件

 緊急事態が起こったときに、リーダーの力量が試されるという。不確定な情報が交錯する状況で、本質を見抜き、信念に基づき的確に、ある場合は冷酷に決断を下さねばならない。状況は刻々と変化するため、ある時点では正しいと思われても、時間が経過すると誤りになってしまう。絶対的な正解などありはしない。当然、判断の誤りも起こる。その誤りを認め、バネにして大きく成長する姿を見せるところにリーダーの神髄がある。リーダーが変えてはならない本質を守り、変えるべき古い部分を捨て去っていく姿に、周りが共感するのであろう。

 日本の政界のみならず。様々な分野でリーダー待望論が展開される。明確な未来が共有できない現在、「何とかしてほしい」というのは分かるが、他力本願的な発想では、リーダーが育つ余地がない。自分たちが抱える問題は、自分たちで解く以外に方法はないことを理解すべきである。解は必ず自分たちの中にあるのだから。

☆世界を動かす

 昨年、米国アップル社で数々の新しい概念の製品を生み出したスティーブ・ジョッブスが亡くなった。アップルの製品で、ライフスタイルを変えた読者も多いだろう。彼は、未来を見据え、一切の妥協を許さず夢を実現した。世界の動かし方を教えてくれたともいえる。転換期の時代、さらにグローバルな競争時代においては、『まじめに努力していれば報われる』という概念が幻想となりつつあるアイデアを捻出し、語り、周囲を動かす覇気がなければ存在意義を問われてしまう厳しい時代である。

☆新しい場に躍り出る

​ 震災、円高、年金など問題は山積している日本である。しかし、これらは他国が、将来経験するであろう共通の課題でもある。日本が、これらの課題に対し、本質的な解決を探り、新しいアイデアを見いだし、語り、議論し、磨く中で、世界に大きな貢献ができるはずである。何ら悲観的になる必要はない。心を磨き、先を見て、人的投資、技術開発の布石を続けていきたい。(な)

293:「リーマン博士の謎」(2010.6.10)

 一昨年の秋に起こったリーマンショックは世界経済に大きなダメージを残したが、ようやく回復を見せつつある。「リーマン」と聞くと背筋が寒くなる方もいるかもしれないが、今回のコラムは、リーマンブラザーズではなく、リーマン予想のリーマン博士の話である。博士は、素数の並びの規則を深く洞察し、仮説を打ち立てた。百五十年前のことであった。当時、そこには規則などあろうはずがないし、仮に法則が見つかったところで何の役に立つのかとあざ笑われたという。しかし、何人もの数学者が、この難問の検証に果敢に挑戦し、時を経るに従い、そこに潜んでいるルールには、核物理学につながる根源的な意味があることを認めざるを得なくなっているという。

☆対話の力

 事象や現象の奥に潜むルールや法則を見いだすのは困難がつきまとう。リーマン予想も、何人もの数学者が人生を賭けた「魔性の難問」とも呼ばれている。一人で問題や課題を定義し、本質に迫って行くには大きなエネルギーが求められるということであろう。この難問の挑戦に大きな転機となったのが、数学者と核物理学者の出会いにあったという。専門の異なる技術者の対話によって、大きく展開の道が開かれた。

☆深く考える力

 われわれ技術者は、数学的才能はないし、天才的ひらめきもないが、より良い製品・サービスのため、顧客のためであれば、一つの物事に対し時間をかけて、粘り強く考え、知恵を集めながら、今までになかったやり方や着想を見いだすことができる。また、それを注意深く検証し、そこで得た経験を、他にも適用するためのルールを見いだすこともできる。

 始めは、一つの製品に限られた、その時だけの小さな工夫かもしれない。しかし、技術者の強い意思と、周りの心ある支援によって、価値を付加し、競争力ある次の技術として、育てることができる

 これからは、国内だけではなく、広くアジアの人たち、世界の人たちと議論し、アイデアをぶつけ合い、ブラッシュアップし、今までになかった製品やビジネスを創出していかねばならない。そのためには、今までよりも深く思考するための余裕、良いアイデアとそうでないものを、早期により分ける判断力、知恵を積み重ねていく対話力を培っていかねばならない。(な)


291:「対話での学び」(2009.12.10)

 ハーバード大学のサンデル教授の『白熱教室』が人気を呼んでいる。NHKの教育テレビで放送が始まると各界に波紋が広がり、日本でも東大で『教室』が開かれ、その様子が紹介された。哲学という難解な分野を扱いながら、身近な質問から古今の思想家のエッセンスをあぶりだす手法は秀逸である。内容だけではなく、千人もの学生を相手にしながら、意見を持つ一人ひとりの学生の発言に耳を傾け、それを要約し、発言者の名前を聞く。そして、有名な哲学者や別な学生の意見と比較しながら、参加者全員に思考させていく授業風景は驚嘆に値する。

☆教育のあり方

 日本でも、「詰め込み教育」を復活させるべきか、「ゆとり教育」を新しい形に発展させるべきか、議論が行われ、試行錯誤が繰り返されている。しかし、教育は、枠組みよりも、教員と学生の一対一の対話のあり方が重要になる。知識の受け渡しや思考訓練は本質ではなく、この世界をどう見るのか、どう変えていくことができるのか、自分はそれにどう貢献できるのかが要点になるべきであろう。

☆足下を掘る

 サンデル教授の基本的な考え方は、高邁な理論を理解させることではなく、身近な問題を掘り下げる手段として哲学を利用してほしいという点にあるようだ。どんな理論も、数式も、思想も、哲学も、実際の人間の生活に役に立たなければ意味をなさない。生きるためのツールとして哲学を用いるべきだとの発想は、別な分野にも応用できる。そのためには、自分の置かれた立場、自分の果たすべき役割、自分の能力を正しく、客観的に認識し、自分の足下(そっか)を自分の力で掘る必要があると気付くことが重要である。その意思があってこそツールが役に立つからだ。

☆次の百年を設計する

 日立は、最も教育に力を入れてきた企業のうちのひとつであろう。百年前の創業者たちは、創業と同時に教育施設を開校した。創業者の貴重な投資のおかげで、現在の企業活動が成り立っていると言っても過言ではない。われわれは、先輩たちが用意してくれた貯えを消費するだけではなく、次の百年を展望し、設計し、新しい投資を始めなければならない。これに対する時間と資本の投資を、如何に本質的で有効なものにできるか、理論にとどまらず実現していけるかが、他の競合相手、競合国と差別化する根本となるはずである。

 『次の時代に、息吹を吹き込む』ことのできる人財、新しいキャンパスに線を描き始めることのできる人財、未来を設計し共有することのできる人財を、時間はかかっても、業務の中から、そして対話を通して育成していかなければならない。(な)

289:「日本の緻密さ」(2009.6.10)
 米国発の金融危機は、半年以上も、底が見えない状態が続いており、庶民の生活にも深刻な影響が出ている。暗いニュースが多い中で、ワールドベースボールクラシック(WBC)での侍ジャパンの活躍に溜飲を下げられた方も多かっただろう。
 データに裏付けられた戦略と練習で築いた緻密な「野球」で、体力では、とてもかなわない相手を打ち負かす瞬間は刺激的でもあった。それも、連覇したことによって、一回きりのまぐれや、偶然ではなかったことを証明してくれたことは大きな意味を持つ。少し前までは、日米で大きな格差があると思われていた野球界でさえ、日本が世界を相手にして充分やれるという意識は、長引く不況を克服する精神的なエネルギー源にもなるだろう。
☆独自のスタイル
 一流のプレイヤーの中で、競争に勝っていくには、独自のスタイルが不可欠という話を聞く。たしかに他人のまねでは、一定レベルの実力はつけられるだろうが、頂点を極めることはできないだろう。武道の稽古では、「守・破・離」という課程を踏むという。まず、師の流儀を習い、守り励む。次に、師の教えを尊びながら、自分独自の工夫を加えて応用する。最後の段階では、「守」にとらわれず、さらに「破」も意識せず、師を離れて、自分自身の学んだ内容を発展させていく
 武道に限らず、仕事でも、同じことが言える。先輩の築いた財産や幹部の判断を、そのまま後輩や部下に教え・伝えるだけでは、自分としての存在意義が無い。工夫を加え、さらには先輩の手法を超える新しいやり方を生み出していくところに挑戦があり、やりがいが生まれる
☆野武士の百年
 日立製作所が明年創業百年を迎える。これにあわせて、様々な企画が進行中である。日立製作所は、企業風土として、どこか田舎っぽくて、不器用で、口下手だが、時代に妥協せず自分の信念を貫くスタイルがあると見えるようで、昔は「野武士の日立」と、揶揄されながらも、一目置かれてきた。日立製作所の歴史は、現場を第一とし、教育に力をいれ、顧客根本で堅実に歩んできた百年であった。
☆次の百年へ
 これからの時代は、これまで以上に過酷な試練が予想されている。急速な時代の流れには、今までの成功体験が裏目に出るケースもある。だからこそ、より深く学び、より早く変わり、より大きな価値を作り出さねばならない。そのためにも、結果としての製品や業績だけではなく、開発の奥にある先人の心を伝え、学ぶ仕掛けづくりの重要さが増している。(な)
 

287:「日本人的な発表」(2008.12.10)
 二十年も前の話になるが、米国の半導体関連の学会で研究発表する機会を与えられた。当時は、日本人の発表レベルも低かったせいか、事前に日本のメーカ発表者が集い練習会が開催された。準備のため、外国人の添削者に音読テープを作ってもらい、発音練習に励んだが、「典型的な日本人的な発表ですね」との評価に 落胆した。そのときは発音やアクセントの問題と思っていたが、後から考えると内容やストーリーの方が課題だったのかもしれない。本番は、大いに緊張しながらも問題なく終わり、なんとか質疑もこなせたが、米国人たちの発表を聞いて、その差の大きさを痛感した。
☆笑いとユーモア
 一番違っているのは、話の導入部で、「笑い」を取って、聴衆をリラックスさせ、話に引き込む。その笑いの種は、「ジョーク」と言うより、「ウイット」に近い「ユーモア」 である。聴衆が、日頃不満に思っていることや、まだ気づいていない矛盾にメスを入れて、共感を呼ぶ。その手法は、形を変えて本来の研究にも、つながっているので、後で驚くことになる。ある研究者は、どうやって「笑い」を取るかに、もっとも頭を使うとも言う。
 この「笑い」の場は、「笑いたい」と思っている聴衆と「笑わせよう」とする発表者の絶妙のバランスで形成されるそうだ。「ユーモア」が提供されても、受け側に理解するだけの能力がなければ「笑い」に結実しない。
☆客観的に見る余裕
 日本は、島国のため、歴史的に他文化との接点が少なく、他言語で他民族と会話する必要性が少なかったため、会話の潤滑油としての「ユーモア」が未発達の部分がある。米国などは、人種のるつぼで「ユーモア」が不可欠だったのだろう。
 「ユーモア」の源泉は、自分を客観的に見られる余裕に違いない。物事に、のめり込んでしまうと悲壮感が漂うが、少し離れてみると無駄な部分、工夫できる部分が見えてくる。その一歩上の立場から現在の自分達を見てみると「ユーモア」が生まれてくる。あまり客観的になりすぎると、自分の職務も投げ出したくなることもあるようだが、それもバランスが重要なのであろう。
☆対話の時代
 携帯とメールで「会話」と「意志伝達」が自在になった。また、テレビでは「笑い」があふれている。しかし、逆に人と人が触発しあって、新しいものを作り出していく「対話」が減っている気がするのは杞憂であろうか。新しい時代に対応した日本的な「ユーモア」が発展すれば「対話」が復権するかもしれない。(な)
 

285:「新しい模索」(2008.6.10)

 政権が代わり、国全体で、新しい方向を模索し始めた。何もかもが未経験であるために、成功もあろうが、失敗もあろう。しかし、この変化は、これまでに進めてきた試みが本当に必要なものだったのか、また未来を開拓するうえで役に立つものであるのかを問い直す機会として重要なものとして位置づけられるであろう。日立製作所も、創業百年に際し、大きな舵取りが進められている。今までの成功体験が、新しい時代では失敗の原因になることは、良くあることである。時代に合った判断基準を作り上げながら、改めるべきは改め、守るべきものは守る。このコンビネーションとバランスが日立再生のキーになるだろう。

☆この百年

 一口に、創業百年と言っても、あまりにも長く、重く、貴重な歴史の連続である。歴史は、海岸に打ち寄せる波のごとく繰り返される。一つ一つの波は、極めて似ているが、同じ波は一つとしてない。独立しているように見えて、水面は複雑につながりあっている。打ち寄せる波は、岸に向かって進む波動と反射する波動がぶつかり合って発生するという。前へ進む力、押し戻す力の緊張の上で、浮き沈みしながら、一度しかない歴史を刻む人間と似ているとはいえまいか。

☆波を創る

 どんな複雑な形状の波形も、単純な繰り返し関数の足し算で記述することができることを示したのは、フランスの数学者フーリエであった。一見複雑に見える形状でも、解きほぐしていけば、まるでDNAのように、係数の組み合わせに集約されてしまう。これは、単純な毎日、毎週の繰り返し作業を、バランスをとりながら、組み合わせ、足し合わせることで、思いどおりの人生を演出できることを示唆している。つまり、新しい時代のために、今までになかった新しい発明が必要なのではなく、今までのやり方の比率を変えることで、まったく異なるものでさえ作り出せるということである。

☆次の百年のために

 「企業は人なり」とは古い言葉だが、結局、価値ある情報を持っているのは人であり、その価値を生み出せるのも人である。ダイアモンドは、ダイアモンドでしか磨けないように、人を育て、鍛え、会社の宝にしていくのも、また人である。人の育成には、多くの人の熱意と工夫に満ちた努力と膨大な時間が必要とされ、近道などない。しかし、人を育てる場や機会、環境は、身近なことから、もっともっと手を入れることが可能で、効率化でき、変革することができる。この積み上げにこそ、日立の、そして日本の原点があり、世界に誇るべき資産が集約できるとは言えまいか。(な)

283:「組織の寿命」(2007.12.10)
 人間に寿命があるように、人間の集まりである「組織」や「会社」にも寿命があるという。アメリカの会社では、その平均寿命は三十年そこそこだと指摘する学者もいる。近年の自治体の合併、企業のM&Aのニュースを聞くと、生き残るための苦渋の決断があったのだろうと推察せざるを得ない。しかし、いよいよ最終局面になっての、延命のための外科手術ではリスクが大きく、困難がともなうようだ。人も正しい食生活と適度な運動によって、健康でいられる期間を平均以上にすることができる。組織も、新しい人材による代謝と外部との競争や共創による活性化でいきいきとした期間を続けることができるのであろう。

☆壁のむこうの力
 組織にとって、人材の重要性は異論のないところだが、組織の壁を越えて、外の力をどう利用できるかが、今後大きな鍵になりそうだ。異なる組織で、互いに協力し、それぞれの組織を活性化させるには、「問題を解りやすいかたちで発信できる」かどうかにかかっているといえる。自分たちの、個別の問題のままであれば、他人は何の興味も示さない。たとえば企業の製造現場で起こっている問題をいくら集めても、大学の研究者は、どのような意味があるのかわからない。設計部門で困っている課題も、そのままでは営業部門では活用できない。個別の問題を掘り下げ、抽象化・一般化し、他人のかかえる問題と共通点を発見し、共鳴させることができれば、組織の壁の向こうから、予想を超える協力が期待できる。しかし、無限の組み合わせのある現実世界における個別の事象から、どのように抽象化していくべきか。そのヒントは「人間へのまなざし」にある気がする。なぜその製品や機能を必要としているのか、いくらで買うのか、どう使うのか、それから何を得るのか。何の役に立つのか。同じ機能を人間ならどうやっているのか。人間と製品、機能の関係に思いをはせることで、さまざまな課題を抽象化できる。

☆心を耕す
 ものづくりの人たちの心を刻んできた『ぱんぽん』誌が六十周年を迎えた。忙しい業務の傍ら、時間を作り出し、作品群を生み出し投稿いただいた方々に敬意と 感謝の気持ちを捧げたい。それは、時代を写し、そこに生きた人の心の動きが記録されている。そこには、様々な形式を取りつつも、技術や人間関係の奥に流れる人間への暖かいまなざしを発見することができる。温かいまなざしのためには、温かい心を持つ必要があり、温かい心のためには、常に自分の心を耕しておく必要がある。それらは、他人からアドバイスや励ましをもらえばもっとうまくやれる。これが組織や人間の長生きのコツかもしれない。(な)

281:「夢はどこにある」(2007.6.10)
 『若い人(子供)に夢がない』との話を聞いたり記事で読んだりする。しかし、大人たちにも夢があるだろうか。毎回、選挙公約を読んで『これが政治家からの有権者への精一杯のメッセージか』と思うと悲しくなるのは私だけではないだろう。政治と経済の、もっとも大きな差は、その視野のスパンにあると思っていた。経済活動は、期ごと、年ごとに、帳尻を合わせていく必要がある。しかし、政治は、二十年、三十年のスパンで、大きく社会の舵を取っていくことに存在意義がある。短い時間で解決できないことでも、時間をかけて解決していくのが政治の役割だ。道路の幅を広げるだけでも、優に三十年はかかる。しかし、三十年前 に始めておけば、今、成果を享受できたはずだ。周りが反対しても、三十年後の人たちに喜んでもらえば『良し』とする気概がなければ、社会など変えられるはずがない

☆「暴力」の本質  
 拳銃を使った暴力が、日米で多発し心が痛む。犯人が、暴力を使わざるを得なかった理由は、まだまだ不明な点が多い。しかし、犯人の主張を要約すると『わかってくれない』となりそうだ。自分は被害者で、常に孤独で、自分をわかってくれる人がいない。自分を理解しようとしない周囲への報復として暴力を行使する。この繰り返される悲劇を、防止できるのだろうか。日本の戦時中は、言いたいこともいえない閉ざされた社会だったという。しかし、戦後、何でも言える開かれた社会ができた時点で、自分の主張を正しく考え、他人に伝える能力を失ってしまうとは皮肉な現象である。

☆人へのかかわり方  
 いつでも、どこでも、誰とでも、何でもしゃべれるようになって便利この上ないが、しゃべっている内容が、実は空疎で、何も内容が含まれていないことに気づくことがある。教育の責任にするのは簡単だが、社会の成熟という観点で、もっと大きな枠組みでの変革が必要とされているのであろう。夢があって、それを実現するために、日常の努力があって、時を積み重ねて報われる。その中で、たくさんの人との出逢い、協力し、励ましあい、喜びを分かち合う。この過程におけるコミュニケーションこそ、未来に残すべき、内容のあるメッセージであろう。

☆柔軟な発想

 自分の夢だけでなく、地域の夢を共有できれば、こんなに嬉しいことはない。日立市の将来像、夢を例に考えてみれば、人口は減るばかり、財政も厳しくなるばかり、緊縮財政を徹底させるばかりでは、ますますじり貧が続いてしまうことになる。もっと大風呂敷を広げて、柔軟な発想をしてみたらどうだろう。企業城下町のメリットを最大限に生かし、日立沖に人工島を造って原子力、風力、波力の総合発電所を造り水素燃料を生産する。市内の信号機を、カメラを多用した新しい制御方式に見直し無駄な信号待ちを撲滅する。日立市のシンボルとして、日立版の通天閣を立て、人を集める。これらの財源に、首都の移転を先取りして、日立製作所の本社を日立市に移し税収の協力を願うなどなど、発想はつきない。(な) 
 

279:「時の圧力」(2006.12.10)
 故郷に帰省した際、久しぶりに高校時代に通学した街並みを散策した。記憶に残っている姿と現実の隔たりに驚いた。当時の街の勢力図は、古くから街を二分して、しのぎを削っていた旧デパート陣営と、これをひっくり返すべく登場した新勢力の三つ巴の戦いであった。しかし、これらの勢力はすべて、三十年の時の圧力に跡形もなく消え去り、別な姿になっていた。当時、最先端を走っていて、憧れの的であった店舗も、その後、看板が二回変わったことを確認できるだけで、 現状は廃屋同然であった。以前と変わらないのは、食べ物屋、婦人服商店、神社仏閣であった。

☆年月を超える力

 一日、一年での変化は小さいが、年月の積み重なりで、ほころびや錆びが生じ、放置すると、まるで違った姿に変わり果ててしまう。年月を超える力は何であろう。資金力でもなく、統率力でもない。ある意味では、時代を見る先見性でもなさそうだ。商売の原点は、言うまでもなく顧客にある。顧客のニーズの本質に、どこまで迫れるかが大きな分かれ目になる。そのためには、背伸びをせずに、自分たちの強みと弱みを踏まえながら、顧客の視点で長く商売を続ける姿勢が重要だ。婦人服売り場の女性店主の笑顔に、その秘密を見た気がした。

☆金メッキの功罪
 少し前になるが社内の講習で、社外の講師から「日立の人は、何でも金メッキをしようとする」と、耳の痛い指摘を受けたことがある。これは、金メッキなど必要のないところまで、手間や工数をかけてメッキを施し、外見を整えようとするという優等生的な考え方を揶揄したものであろう。だが深読みすると、本質的なところと、どうでもよいことの見分けがついていないとの指摘とも取れる。薄っぺらなメッキをかけることにとらわれて、本来の中身を詰める作業がおろそかになるのであれば大変なことになる。

☆継続可能な組織
 組織が大きくなればなるほど、個人の力を集め、活用するのは難しくなるという。単純な業務命令の繰り返しや期限を盾に取ったプレッシャーでは、逆に思考が止まってしまう。経営の達人は良く「問題解決のヒントは、自分達の中にある」と言う。すべての人の頭を活性化し、アイデアを集め、絞り込み、愚直に実践に移して行かなければ、競争には勝てないとも。逆風であればあるほど、組織の弱点が洗い出しやすく、根本的な治療を早めることができる。設計やモノづくりの方法のみならず、組織運営のやり方や顧客とのやり取りを含め、新しい道を探る本質的な努力を積み重ねていくことが重要であると感じた。(な)

277:「仕事を楽しむ」(2006.6.10)
 「科学は知的なエンターテインメントである」と社内の講演会で筑波大の村上和雄名誉教授は切り出した。続けて、「もし、周りを楽しませていないとすれば、 それは役者(科学する者)の責任である」と手厳しい。含蓄のある言葉と受けとった。「科学」を、「技術」や「仕事」と読み変えて、日々の生活を振り返ってみれば心が痛む。「仕事」と称して「ストレス」のキャッチボールを繰り返しても、楽しいはずが無い。まず、自分が楽しむこと、周りを楽しませること、それが顧客を楽しませることになる。そのためには、「仕事」を客観的に見つめ、本質を掘り下げる努力が必要だ。思い込みからの脱却から、余裕が生まれ、楽しさの源泉となる。

☆観客を楽しませる
 本年は、トリノオリンピック、野球のWBC、サッカーのワールドカップと世界を舞台としたアスリートの活躍に注目が集まっている。想像を絶するプレッシャーの中で、日ごろの練習の成果を発揮し、最高のプレーを見せられるかどうかは、勝とうとする意欲、精神力に大きく依存することがわかる。それこそが、観衆をわくわくさせ、感動を与える力になる。われわれもプロの一員として、世界で戦うアスリートのように周囲を感動させる仕事をしたいものである。

☆眠れる遺伝子の目覚め

 そうはいっても、平凡な自分とノーベル賞学者とは差がありすぎると思っていたが、遺伝子の権威である村上名誉教授によると、遺伝子上の差は一万分の一程度と少ないという。また、遺伝子は、生命の設計書だが、たんぱく質の合成のために利用されるのは、わずか二、三パーセントに過ぎず、他は参照されずに眠っているとのこと。しかし、環境や時間などの条件が整うと突如として目覚め活躍を始めるという。

☆視点を変えよ 
 昔、上司が会議のたびに「視点を変えよ」と主張していたことを思い出す。富士山だって、見る方向が変われば、違った山に見えるように、不可能だと思っても、見る立場、見る方向を変えれば、可能なことがわかることがある。技術者は、自分の世界にのめり込みすぎる。周りを見ながら、他の道も考えながら、到達点を意識しながら、視点を変えていくことが成功の秘訣だという。視点を変えるということは、考え方を変えることにつながり、遺伝子の環境を変え、設計図の参照の仕方を変えて、新しき発展につなげていける。景気は回復基調とはいえ、まだまだ厳しい環境は続く。世界を舞台とする戦いも始まったばかりである。意欲の向上、仕事のやり方の変革のみならず、自分を取り巻く環境をも影響を与えるべく、視点を変えながら新たな解を求めていきたい。(な)

275:「すり合わせの文化」(2005.12.9)
 先日、社内の先輩から「日本のモノづくりは、すりあわせであった。しかし、これでは時間がかかり競争に勝てない。これからは、すり合わせなしでモノをつくる仕掛け作りが重要である」との話を伺った。たしかに、設計や製造において、多くの時間がすり合わせ、打ち合わせ、連絡に用いられている。この調整が部門をまたがった場合には、説得のための資料作りや待ち時間が増え、開発スケジュールに影響を与えることもある。また、すり合わせには、状況に合わせた譲歩も多分に含まれている。全体を勘案し、間違ってなくても修正するし、間違っていても修正しないケースもありうる。このような、調整が出ないように、あらかじめ決めたルールで運用できたら、どんなに効率的かと思ったことも多い。

☆こまやかな配慮
 しかし、すり合わせの文化であるゆえのメリットも見逃せない。特に、外国の企業の人たちとの共同開発にかかわった人から、企業文化の違いによる苦労話を耳にする。そのなかでも、最も苦労する点は、彼らが、なかなか誤りを認めない点にあるらしい。共同で製品を開発するには、完成に至るまでに、どのような問題 が、どこにあるかを探し対策するというプロセスが不可欠である。この際、程度の差はあれ日本人技術者なら、たとえ結果的に自分ところに問題がなかったとしても、自分のところに問題があるかもしれないと対策に協力し、他人が担当する部分であってもチェックを重ねるのが常である。最後は同床で、頑張ることを当然と思っているし、新製品はその神聖なお祭りを経て誕生すると教えられて来た。しかし、外国の企業との付き合いでは、その常識が通用しない。ルールがすべてで、そのルールに則っている限り、彼らは決して謝ったりしない。また、証拠が突き付けられるまで過ちを認めない。これでは細やかに配慮されたシステムの 完成など望めない。

☆グローバル化の本質
 グローバル化が叫ばれて久しいが、相手のやり方にばかり合わせるのが良い方法とは思えない。日本のやり方の優れた点と問題のある点を正しく認識して、新しいとりきめを提案していくべきである。立場や考え型、その国の背景としての歴史によって、当然仕事のやり方は違っている。日本であっても、時代によって、 会社への帰属意識、仕事への価値観が大きく変わってきた。新しい時代の、新しい製品には、優れたアイデアと共に新しい仕事のやり方が必要であろう。開発 工程において、やりかたをルール化できるのは、ほんの一部しかないという。ルールにできない部分を、どのように補い合うか。そこに知恵の出しどころがあるのかもしれない。そういう意味で、製品や仕事のやり方だけでなく、企業としての文化、国としての文化を語り合いながら、お互いの交流を深めて行ける力量をつけていきたいものだ。(な)

273:「歴史から学ぶべきもの」(2005.8.10)
 5月連休に米国先端技術の調査団に参加させていただいた。常に笑顔で、ジョークを交えながらの米国人の話術と、技術者間のフランクな会話に、技術を生み出す源泉としての文化を再認識せざるを得なかった。
 日本は昔より外国からの技術導入には旺盛だったが、技術の背景としての文化には無関心で、というより理解しようとしても出来ない面がありそうだ。他国で開発された技術を自分で試してみて発生した問題を一つ一つ現場に即して対策しながら自分のものにして行く。それが、逆に、これが日本の文化だと言う人もいるが、これだけでは、新しい技術は生まれにくい。日本におけるものづくり技術の危機が叫ばれて久しいが、技術よりも、もっと深いレベルでの議論が必要とされているのかもしれない。

☆本質は、どこにある
 調査団に同行した先輩より、航空機開発の話題から飛躍して、日米空中戦における技術と戦略の関係を解説していただき、ひさびさの面白い話に納得した。つまり、日本では、空中戦の目的を敵機の撃墜と考えられていたため、敵機攻撃用の一番機と、これを守る二番機、三番機の阿吽の呼吸が重要視され、戦闘時における音声通信は無益と判断し、翼の微妙な動きや手のしぐさ羽根の触れを用いた伝達手段とした。これも一理ある。これに対し、米国は、空中戦の目的は母艦守ることと考え、音声通信で指示可能なレベルでのマクロな戦術を採用した指示を行ったという。この話は、目的による戦術の差異、戦術と技術の主従関係、戦術に対する組織としての指示のありかたなど、さまざまな文化の違いが凝縮されていて面白い。

☆反省の意味
 周辺諸国との歴史認識の違いが話題になり、何を持って「反省」とするかも議論百出だが、日本では、事件や事故が発生した後の再発防止策が表面的になりがちだ。「なぜ、そうならざるを得なかったか」、「どこまで引き返し、何をすればよかったか」を突き詰めようと思っても、すぐ壁に突き当たってしまう。現実的な直接原因では応用がきかないし、抽象的な間接原因ではぴんとこない。個別の出来事の奥にある背景を探っても、日本的な意思決定、行動指示方法では、有効な責任追及にはいたれない。誰も悪くなかったか、みんなが悪いという話になってしまう。これでは、組織としての説明責任が果たせない。こうなる背景には、 技術や行動の背後にある文化に解決すべき課題がありそうだ。

☆日本の再生
 世界規模での競争をして行くためには、誰が、もしくは、どのような組織単位で、何を根拠にして、どのような意思決定を行なったかを説明する準備、用意が必要である。この際、これが世界の他の国(組織)の、他のやり方に比べ、どこが優れ、何が劣り、どのようなリスクを負ってるかを合意するべきである。そうすれば、起こった問題を極小化できないし、自分たちの責任も放棄できなくなるはずである。そうでなければ、反省の仕様がない。このような核心に触れる部分を、堂々と、オープンに議論できる風土こそ、望まれる企業文化の気がする。(な)

271:「純愛ブーム」(2005.3.10) 
 純愛をテーマにしたドラマや映画がブームである。マスコミによる過剰報道を差し引いても、社会現象といえる。地震・台風による天災、国家間の不毛な対立、残虐な事件捜査の長期化など暗いニュースが多い中で、明るい話題といえる。というのは、映画館やテレビの前で、感動し、涙できるということは、それだけ、心に余裕があるという証明である。レベルはともかく、物語に触れて、生き方を学び、心を洗う時間をもてるということは素晴らしいことではなかろうか。

☆「純愛」の本質  
 純愛の本質は、「ひたむきさ」にあると言われている。その「ゆるぎなき思い」と「他人への深いかかわり」は、現代人が、失いかけている要素である。誰に何と言われようと、どんな障害があろうとも、自分の命をかけてまで相手を思い、尽くすことができるということは、本人にとって充実した時間であるし、幸せな ことである。たとえ、物語がハッピーエンドで終らなくても・・・。他人への心遣いもままならない現実の自分を、映画の主人公に写像し、こんな風に生きられたらと思えるところに、視聴者としての楽しみがある。また、感動できる自分を客観的に確認できることも、喜びのひとつである。

☆人へのかかわり方  
 年初にお世話になった先輩から、賀状で含蓄のある言葉をいただき感謝している。その中に、高齢にもかかわらず、現在も芸術活動を続けられている日立OBからの「肝胆を相照らす友は少なく、路傍の人で終るは多き」という言葉が印象に残っている。人生を振り返ってみても、深くかかわりあえた人は、意外に少ない ということであろう。携帯電話を中心とする通信機器の発達に伴い、時間的、距離的な制約が大きく緩和され、形式的な付き合いや連絡は、きわめて便利になった。しかし、それが、自分と他人や社会とのかかわり方を、表面的で、簡単なものにしてしまっていると気づくときがある。昔は、複雑で、面倒な手順をこなす中で、相手への思いを織り込んでいたとも言える。便利さに甘んじることなく、相手とのかかわりを深めていくための努力や工夫が必要とされているという ことであろう。

☆感動の共有

 言葉を共有するのは簡単だが、感動を共有することは難しい。それは表現の方法によって、伝わり方が大きく異なってくるからである。論理的な考えは、メールや 携帯で十分伝わるが、心の動きを文字にするのは至難である。しかし、文章は書けば書くほど上手になるといわれる。限られた人生で出会う、限られた人々との出会い。そのかかわりを、大切にするために、言葉として残していきたいものである。(な)

 

269:「恵まれた環境」(2004.10.14)

 今年の夏は、近年になく厳しい暑さであった。エアコンがずいぶん売れたそうだが、夜なかなか寝付かれないための睡眠不足と出勤後に噴き出す汗には苦労された方も多かったことだろう。とはいっても、日立市は海が近いこともあって。朝夕の風は涼しく、内陸部の地域から見れば羨ましいほど恵まれた環境なのであろう。

 また、今年は、異常気象のせいであろうか、日本の各地で集中豪雨などの被害が相次いだ。幸い日立市の被害は聞かなかったが、これも山と海の自然に守られているお蔭かも知れない。

☆時代離れした安穏さ

​ 十二年前のことであるが、今は廃刊になった科学朝日に、日立市の印象が、「三十年前の懐かしさと野暮ったさが同居」、「企業城下町特有の時代離れした安穏さ」と紹介されていた。辛辣であるが、「安穏さ」が許されていた、恵まれた環境を享受できた当時が表されている気もする。しかし、この十年で、日立市の状況は大きく変わった。安穏さを打ち破り、時代を先取りし、知恵を駆使した企業や商店はますます栄え巨大化している。一方、今まで通りの顧客に対し、同じ売り方を続けていた店は、時が経つにつれて、閉店を余儀なくされ、錆び付いたシャッターを放置せざるを得なくなっている。

☆戦い取った自由

 先日、家族で日立市中心街の映画館で「キングアーサー」を見た。スターウォーズの原点としての冒険活劇を期待していた子供たちには受けが悪かったが、「なんのために戦うのか」、「仲間たちをどうまとめ、彼らにどう報いればよいか」がテーマとして底流に流れており、考えさせられるものがあった。主人公の発する「ローマのためでもなく、神のためでもない。自分たちの自由のために戦うのだ」というメッセージが、どこまで現代の日本の我々に届くかは疑問であろう。

☆帰属意識の改革

 というのは、日本社会には、「おしきせ」に従うことを美徳とするところもあるからである。若いうちは、自由さを求めるエネルギーがあるが、就職し、家庭を持つにつれ、「おしきせ」を甘んじて受ける風潮がある。秩序は重んじるべきであるが、求めすぎると社会が停滞してしまう。「寄らば大樹」式の帰属意識では、新しい時代は築けない。一人ひとりが、自己実現のために、会社で働くのが一番いいいと考えられる仕掛けづくりの拡充が、どうしても必要である。

 先輩たちが、命を懸けながら築き上げ、勝ち取ってくれた環境であり、自由であり、豊かさである。安穏さを廃し、知恵を出し合って、努力を積み重ねながら、お互いが密接に関連しあって全体を形作っていく「有機的な組織」としての職場こそが、発展の基礎となる。もっと、あるべき姿が語られてよい。(な)

267:「食の危機が意味するもの」(2004.5.10) 
 狂牛病、鳥インフルエンザなど日常の食生活に直接関係するニュースが続き、その影響は簡単に収まりそうもない。人への感染も脅威だが、「感染を防止するため」とはいえ多数の動物の生命を一時に奪うという報道には胸が痛む。感染ルートの特定が難しいため、本質的な究明には時間が必要であろうが、同じような環境で、同じえさを与え、これを何世代に渡り繰り返すことで、効率を上げてきた畜産業のやり方に問題はないのだろうか。便利さと効率向上は、諸刃の剣で、度を越えると大きなしっぺ返しを食らうことは常である。自然から人類への警告として受け止めてもよいのではと思っている。生命の種は、時代を超えて生き残るために、遺伝子の多様性を確保する仕組みを備えている。この仕組みが十分でないと、環境や生態系の変化や病気などで全滅の危機に瀕してしまう。

☆時代を超える源泉  
 人間の社会でも同じことが言える。同じような人を集め、同じような思考パターンで仕事をしていては、世の中の流れに対応できず、組織が維持できなくなってしまうケースもあるようだ。 考え方の異なる人たちと意見を交わし、視点を変え、行動パターンを増やしていくことで、活力を維持していくことが 出来る。「変革」、「改革」のスローガンは、変える事が目的ではなく、変える事によって何が起こるかを考え、将来起こるであろう危機へ正しく手を打てなければ生き残れないとの想いを凝縮したものと受け取っている。

☆新しい組織  
 日立製作所の改革の速度が急に速まっているとの印象がある。かつての競合メーカまでの買収、事業部門の譲渡、協業など、いろいろなスタイルでの新しい組織 作りが急である。外科手術と同様、大きな痛みを伴うが、いままでの古い視点を変えるチャンスとなる。新しい挑戦をしなければ切り抜けられない、待ったなしの状況を自ら創り出すことで、企業としての遺伝子の多様性を確保できるとの意向であろう。

☆知恵の共有 
 企業の最大の財産は人であり、その知恵である。解決すべき課題を共有し、様々な立場、考え方での解決の方法をぶつけ合い、さらに新しいものを開発していく場が会社であり、その行為が仕事である。この仕事をいかに、楽しく、有意義に、顧客に喜んでもらえるようにできる環境をもっているかで、企業としての競争力が異なってくるのであろう。世界を相手にした競争は、さらに激化が予想されている。世界のライバル達に誇れる企業文化を形に残し、様々な形で語っていくことが、「信頼される会社」への着実な一歩になる。そのためにも企業文化を縦横に語れる場作りが必要であろう。(な) 

265:「十年後の仕事」(2003.12.10)
 ある先端技術の研究会で「十年後、どのようにメシを食うか」というテーマ討論があることを知り驚いた。激しく技術レベルを競い、昼夜を問わず仕事をこなす人たちの集まりである。しかし、そういう立場にいるからこそ、時代の流れ、将来の脅威に敏感なのであろうと納得した。高度経済成長時代は、ひたすら現在に集中して生きればよかった。市場は右肩上がりで、現在に続く将来は、約束されていた。しかし、時代は大きく変わり、世の中の動きや変化をいち早く予見し、将来へ向けての布石を打ち続けなければ、自分達の未来は保証されない

☆働き中毒からの脱却 
 求められている仕事の内容の変化に伴い、仕事のやり方も変えていくべきである。旧態依然の体力勝負では競争力向上など望めない。開発投資の削減と人員の縮小は、新しいやり方を提案するチャンスである。古いしきたりや無駄を排除し、製品をより価値あるものにするためのアイデアと、それを実用化するための工夫 に注力し、本来やるべきことに集中できる環境を提案することができる。

 そのためには何をすべきで、何をすべきでないかは、もっと議論されて良い。やったほうが良いことを積み上げても、いたずらに仕事が増えるが増えるばかりで ある。戦略という「ものさし」に当てはめ、やるべきことを絞り、存在意義のある技術に磨くことこそ、企業活性化の原点であろう。

☆未来を見る謙虚な目 
 インタビューをお願いしている会社の先輩からプロフィールをいただいた。その中に「在職○○年間なるも、衆に優れた特技何もなし。業務上の功績や成果など特になし」と記載されていた。すがすがしい感動を覚えた。取るにたらない成果を誇らしげに主張し、小さな冠や自己保身に執着する現役世代への大きな警鐘 と受け取った。「何もなし」と喝破できる自信こそ、根底に持っておくべきものであると感じた。正しく未来を見つめるには、澄んだ目が必要とされる。「太陽のもと、新しきものなし」とは、旧約聖書の言葉だそうだが、謙虚さなくして、次の時代は語れない。

☆「時間切れ」にならないために
 将来への対策は、早すぎる事はない。時間があれば、衆知を集め、もっと良い考えを出せるかもしれない。「将来起こるかもしれない危機」は、机の上に出して議論することに意味がある大きな問題を解決するには、長い時間がかかる。新しい産業を起こすには百年単位で、交通システムや教育問題には数十年単位での期間が必要である。問題が存在することを意識し、変えたいという意思を持つことこそ、解決のスタートとなる。もちろん、この前提には、自分の生きている間 に、自分の成果にはならないことを覚悟することが必要である。そのためには先にあげた先輩の言のごとく、日常を超越した精神が望まれることは勿論である。(な)

263:「競争から生まれるもの」(2003.8.20)
 戦争の時代と呼ばれた二十世紀は終わったが、戦争が終わる気配はない。政治の腐敗と同様に、戦争は、場所や地域を替えながら繰り返し発生してきた。世界の英知を集約しても、解決の目処さえ立たないことからすると、人類の思考や取り決めレベルの問題ではなく、もっと深いところに起源があるとしか思えない。資本主義社会において、競争に勝つということは、大きな意味を持つ。競争に勝つことで、さらに大きな力を得て、さらに、より大きな勝利を手に出来る。この原理を「自然淘汰」「適者生存」というのは簡単だが、成熟した社会システムにおける意味をもう一度問い直してみる必要がありそうだ。競争の果てに得たものは何であったのか。得たものは、本当に欲しかったものだったのか。その過程で何を失ってしまったのか。失ったものを取り戻すことは出来るのかなどなど、戦争に限らず、身近な生活で振り返ってみても考えさせられることは多い。

☆不況の意味
 わずかに明るさが出てきたものの、不況感の払拭には時間がかかりそうだ。しかし、不況の時代は、次ぎなる飛躍の準備期間であり、新しい動きの原点となる時代である。この苦境を、ただ節約で耐え忍ぶのか、知恵を集め戦略を絞り込むかで、大きな差が出る。企業として、経済的制約から全方位戦略がとれなくなることは、社会に向けて存在意義を明確に表現するチャンスになる。ここで企業として、競争に勝つ戦略か、社会や人類に貢献できる戦略かで、作られる製品が大きく違ってくるであろう。ソフト志向、サービス志向のビジネス形態にシフトするにつれ、その重要度は増してくる。

☆製品をつくる心
 「優れた製品は、優れた技術者によって作られる」かどうかは、検証できていないが、技術者としては、そうあってほしいと願う。充実した心で作りこんだ製品は、社会に幅広く受け入れられ、役立って欲しいと思う。そのためにも、想いを重ねていける仕掛け作りが必要であろう。ひとつの発想を、膨らませ、育て上げ、製品に持っていくには、膨大な努力と協力が不可欠であ る。このため、これを「死の谷」と呼ぶ人もいる。しかし、想いを持って、延々と続く「死の谷」を歩みつづける勇気が無ければ、競争の泥沼に陥るしかない。 これから必要とされるのは、他人との競争に勝つ力ではなく、古い考え方や古い自分との戦いに挑戦しつづけられる粘り強い心ではないだろうか。(な)

261:「進化の発見」(2003.3.10)
 故郷にいる高校生の甥に、ドーキンスの『利己的な遺伝子』をプレゼントしたところ、おもしろく読んだとの返事をもらった。生物学者のドーキンスは、『われわれ人間は、遺伝子によって作り出された機械にほかならない』という考え方で、ダーウィンの進化論を新しい切り口で展開する。論理が正しいかどうかは、さておき、『人間とは』、『自己の存在理由は』、『知的な成熟とは』、『進化とは』を思索する際に、ずいぶん刺激される。企業においては、不況が長引き、今までのやり方を変えるべくスローガンに、革新、変革、進化といった言葉が使われている。しかし、その目的、やり方、評価方法まで、関係者が共有できているかというと疑問が残る。企業にも『遺伝子』があり、突然変異と自然淘汰を繰り返す中で、適者生存の原則が貫かれていくとすれば、組織としての遺伝子の実態を理解していくべきであろう。

☆外部からの評価
 日本では、ノーベル賞受賞者を表彰する仕組みは完璧だが、自分たちで、自分たちを正しく評価する仕掛けは、まだまだのようだ。身近な例でも、社外のホーム ページは、丹念にチェックするが、社内、特に同僚や自分のホームページには、関心も持たないというのでは、評価が外に向いてしまうのは当然だ。研究開発のための、投資が厳選され、説明責任を果たせなければ、お金がつかえない時代になった。企業としても、社会や市場に対し、製品で持って存在価値を示していけ なければ、忘れられてしまう厳しい時代である。だからこそ、もっと自分たちの内部に目を向けて、何が強みなのか、何で貢献できるのか、自分たちの存在する 意義は何なのかを、全員で議論し、共有すべきであろう。答えは、誰も教えてくれない。自分たちで、見つけ出し、もしくは考え出すしかないのである。

☆新しい安定点へ
 経済の停滞にもかかわらず、時代の変化の速度は、スピードアップしている。従来なら、百人も必要とした開発プロジェクトが、スキルを持った数人のメンバーで達成できることが、珍しくなくなった。これは、従来に比べ、何が変化し、何を変えられないのかを見極めていかないと、貴重な時間と人材と資金を無駄にしてしまうということだ。しかし、このような定量的な動向は、まだ予測しやすいかもしれない。時代を読む上で、重要な点は、計量できない部分を、いかに扱うかであろう。今まで、すべての活動をコストと時間という座標で評価し、判断してきたが、その反省も出始めている。美しさや癒し度、快適さなど、もっと人間に近いところでの評価が重要になってきている。これらは簡単に定量化できない。それゆえに設計者、開発者の人格や思い入れが製品に反映する率が高くなる。 現状の閉塞感を打ち破っていくためには、もっと人間の近くへ、利用者の環境へ視点を移していくことが望まれる。そのためには、われわれの心の軌跡を残していく必要がある。これが、企業の遺伝子を進化させていくことに繋がるのではないだろうか。(な)

259:「未来はどこにある」(2002.10.10)
 「人間の未来というのは、過去にしかない」とは、ある評論家の言葉。人間が行うことは本質的に変わらない。パターンや傾向性がおのずから出来上がっていて、同じようなことを繰り返すものだとの警鐘。「過去の成功体験を捨て、新しい時代に対応すべきである」との話は良く聞く。しかし、過去を捨てさって、成功したという話は、あまり聞かない。一方で、高度な技術を持った職場の先輩の退職が相次ぎ、どのように技術を伝承していくかが大きな課題となっている。「言葉にできるのは、薄っぺらなものだけです」と、ある先輩は語られていた。

 「匠の技」など、言葉で表現できるはずはない。IT技術で伝達できるものは限られおり、人を介してしか伝えられないものは、あまりにも多い。かつて、「ノウハウ」や「知識」をコンピュータに蓄積し、人間の代わりをさせようとしたプロジェクトがあり、何人もの学生が、次々に知識を入れていったという。入れ終えた後、自分たちが雑談している内容が、入力したものに比べ遥かに重要なこと に気づき愕然としたという。生きた知識を書き下すことは如何に難しいかを示すエピソードであろう。さらに「知恵」を表現となると、気が遠くなる。

☆知識と知恵
 携帯電話が普及し、メールやテレビ会議が簡単にできるようになっても、やはり出張者は多いし、新幹線など、乗るたびに満員で閉口している。世界一流の経営者が、「そんなに忙しいのに、なぜ出かけるのか」と問われ、「一番重要な情報は、人間について回るからね」と答えたという。人と人が出会い、知識が触発する中で新しい知恵が生まれるのであろう。日立でも、知識を溜め込んでから、検索するやり方では、活用されにくいことから、人間の触れあう「場」作りに力を入れている研究所があるという。しごくあたりまえのような気がしてくる。知識を集めに集め、体力と執念と残業時間で成果を上げる時代は過ぎ去った。新しい価値を作り出していこうという意思が、何よりも重要になっている。

☆未来への財産
 そうはいっても、未来の人たちに何らかの役に立てるものを残したいと思うのは人情であろう。「技」を残すことはできなくても、「心」を伝えることはできる。仕事のやり方としての「文化」も、大きな財産となる。捨てるものは捨て、新しい試みをして、失敗したら、繰り返さないように記録を取って積み上げていく。「こんなことを言っても」、「こんなことを書いても」と考えず、勇気を持って形有るものにしていく行為の積み重ねが、新しい知恵の連鎖になっていくこの小さな、一つ一つの積み上げと、それを大切に扱っていく心遣い、それに触発され、新たな小さな知恵の創出の連続でしか、後世の人たちに財産を残せないのではないだろうか。(な)

257:「自信をもって」(2002.5.10)

☆待てば海路の・・・
  景気の低迷が続く。実態のつかめない「IT不況」とやらで、ずるずると市場が冷え込み、「V字回復」の期待もむなしい。突如の急ブレーキで、対応策をとる間もなく、こんなはずではなかったのにと嘆いている方が多い。「時代の先読み」、「長期的展望」の必要性はわかっていても、日々の暮らしに精一杯で、考える余裕もなかったのが実情か。
  不況に対する日本の経営者たちのコメントも、「あつものに懲りて、なますを吹く」的な消極的な印象が強く、新しいエネルギーを感じられない。政治の世界でも、将来の社会に対し、どのように投資しておくべきかの議論が、大きく欠落している。
  これまでのように、市場が、ある周期で好況不況を繰り返すのであれば、台風や寒波のように、過ぎ去るのをじっと耐えて回復を待てば良い。しかし、これからは、自分の力で打開しないと永久に困難が続くことになりそうだ。

☆自信の回復
  他人が、自分に求めているであろう姿に対して、必死に努力し、時間と才能をつぎ込む。しかし、本当に周囲が求めているものとは、本質的に違っているという悲劇を繰り返していては、不況脱出は夢のまた夢だ。
 米国に行くと、いつも感じることが、「自信」に対する国民性である。経営者からホームレスにいたるまで、それぞれの立場で自信を持って、堂々と生活している。胸を張って、背筋を伸ばして、大きな声を出して生きている。周囲の意見を尊重はするが、自分の哲学は曲げない。そうでなければ、生きていく価値がないと考えているようだ。国民性や性格の問題は、何が良くて、何が悪いというものではい。しかし、自分の理想、目指すものを明確にして、それに対して進むことは、人生を充実させる上で重要なことだ。他人の「幻想」に対してではなく、自分の目標に向けて、努力と時間を投資していく必要がある。

☆未来への投資
  とはいっても、自分の未来への投資というのは、なかなか難しい。時間もスペースも、能力も限られているのだから、身近な、小さなことから、不要なもの、不適切なものを切り落とし、捨て去り、新しいものを入れられる枠を確保しなければならない。
  このためには、今まで執念を持ってやってきたことが、本当に有効であったか、充実感を感じられたか、他人に影響を与えられたか、様々な尺度で、厳しく評価していかねばならない。そして、大胆に変革していく必要がある。
  「自信」も、数々の失敗の上に築かれるものであろう。信念を持って突き進む。もしくは、勇気を持って撤退する。しかし、時には失敗する。これを記憶、記録しておき、失敗を繰り返さないようにする。これが必要だ。うまく行ったときや、他人の成功ばかり集めても意味がない。自分の体験を普遍的に語る力こそが、力ある発言、自信を持ったコメントになる。(な)

255:「勝敗の行方」(2001.12.5)
 勝負の結果の予測は、太古の時代から「神のみぞ知る」世界で、人知を超える領域とされている。特定のルールの下で、人間と人間が競い合うゲームであれば、 常に強いものが勝つとは限らない。最終結果は、複雑な条件の組み合わせで成立し、不確定である。そして今日、主導的であった条件が、明日もそうであるとは 限らない。この勝利の条件に、自分の生き方や考え方を写像できることが、ファンを集める力であり、勝負の面白さを盛り上げる原動力なのであろう。
 プロスポーツの人気が落ちているという。さまざまな原因が論じられているが、ファンが求めるレベルが供給側のレベルを超えてしまった点も挙げられよう。つまり、既存の枠に守られながら、マスコミによって作り出されるヒーローでは満足できなくなってきている。哲学を持ち、自分で新しい道を切り開き、夢を実現していく新しい形のヒーローにしか喝采を与えない時代が訪れたのであろう。これは、ファンの願いを、より高いレベルでかなえることであり、応援する側からのコストパフォーマンスの向上を歓迎すべきであろう。

☆市場は生き物
 勝負の結果と同様に、市場の予測もきわめて困難である。株式市場は、美人コンテストにたとえられるが、違っている点は、自分が美人だと思う人に投票するの ではなく、もっとも人気を集めそうな人に投票する点にあると言われている。これが予測の難しさの根底にある。このために、市場は、石のように動かないかと 思うと、生き物のようにすばやく逃げていってしまう
 バブル期に、当時バブルの可能性に気づく人は多いが、市場が上昇していれば、バブル崩壊に対処するためのアクションを取れた人は少ない。口では危機を説いても、誰かがうまくやってくれて、現状は維持されるはずだと錯覚してしまう。そして突如、急降下が始まる。時間がたたなければ、あの時がバブルだったかど うか確定できないケースがほとんどである。しかし、後になって振り返っても、もう間に合うことはない。

☆歴史とは合意の上での作り話
 歴史とは、所詮合意の上での作り話であるともいわれる。過去の出来事を振り返って、論理的につなぎ合わせる過程で、合意と創作は不可欠なのであろうと納得した。

 人間の行為自体、あまりにも論理だけ、事実だけを寄せ集めても面白みがない。その中に、論理や事実を貫く哲学が通ってこそ、歴史として輝くのであろう。
 時代は大きな波を描いて進行していく。ある時は人間を無視して進んでいくようにも見えるが、必ずチャレンジしていく精神に揺さぶられていく。自分の人生の 歴史は、自分で作っていくしかない。ヒーローに対してではなく、自分で自分に喝采していける、そして後になってではなく、その時、自分の基準で判断して行動できる歴史を残していきたいものである。歴史の傍観者よりは参加者に、観客よりはプレーヤーに、読み手よりは書き手になれるよう努力したいものである。(な)

253:「遊びの本質」(2001.8.4)

☆ ゆとりと遊び
 「労働時間の短縮」「ゆとりの教育」の推進が将来の日本に対し、どのような影響を与えるかは、年月の経過を待つしかない。しかし、「ゆとり」により得た時間を、どのように利用され、どのように「心の充実感」を感じているかは、意外に簡単に結果が出るかもしれない。
ハイテク機器の出現と交通費の低価格化で、一見、複雑化し、多様化しているかのように思われる遊びだが、一皮めくれば単調で、深みのない、情報消費型の傾向が強くなりつつある点が気にかかる。これは、子供たちの遊びにも、大人の娯楽にも共通する問題といえそうだ。

☆遊びの本質
 「遊び」の本質とは何だろう。先日、玩具メーカの方々が見学に来られた際、「おもちゃを使って、(自分の目指す夢を)実現した気にさせられれば、成功なのです」と語られた。現実には存在する時間と空間の壁を超えて、自分なりの夢を実現することが、遊びの本質なのだろうか。
 そうだとすると、一人一人に遊びのやり方があって良い。しかし、近年のレジャーやテレビゲーム、カードゲームでは、あまりに境界や範囲が限定されすぎていないだろうか。このため自分の存在をアピールするエネルギーが、本質とは違った方向に行ってしまうのが残念である。つまり、自分の夢の追求ではなく、他人への優越感を得るための能力開発とコミュニケーションが中心になってしまっては、充実感が得られるはずがない。

☆遊び上手
 昔の人達は遊び上手だといわれる。もの不足を智恵で補うところに新しい発見があり、後輩達への伝達による自己表現があったのだろう。また、流行や画一的な行動に対するアンチテーゼを掲げることへの賞賛の風土も手伝ったかもしれない。
 でも、「昔は良かった」とあきらめるのではなく、あふれる現代の「もの」を利用して、さらに遊びを進化させる可能性は大いにあるし、インターネットを発信ツールとして見事な自己表現をしている例は枚挙に暇がない。

☆新たな遊びの創出
 新たな遊びを創出する視点は、なんといっても自己への探求であろう。過去から未来へと旅する自分の位置を把握し、次の世代へのメッセージとして発信する。このために、与えられたツールを使いこなし、自分の哲学を練り上げる。これは、考えようによっては『ぱんぽん』の活動に通じるものがありそうだ。

 活字を読んで、思索し、文字を書く。これを繰り返す作業の楽しさを、もっと次の世代に伝えていく責任を感じている。そのためには若い人たちが楽しんで参加できるような新しいやり方を、どんどん採用していく必要があるだろう。(な)

251:「新世紀の幕開け」(2001.3.8)
 希望と不安の入り混じった新世紀のスタートが切られた。二十世紀は、激動の時代であった。建設と破壊、そして再建と停滞。貴重な人命と資本と時間を費やして歴史が構築された。新しい世紀では、この成果を受け継ぎながら、新しい発想で歴史を進めていかねばならない。とは言っても、過去の成果はあまりにも大きい。便利になって、自由になって、平等になった。これらによって、『努力しなくても生きていける』のではという幻想さえ抱かせてしまう。今後、生きていくためのハードルがさらに低くなって、この錯覚が大きくなってしまうと、社会が破綻することになりかねない。現在の安泰は、自然にできたものでも、天から与えられたものではなく、先輩たちの長時間にわたる苦闘と勉強により勝ち取ったものであることを心していくべきである。

☆ 日本の心
 庄山社長がメッセージの中で『日本の心』(講談社)という本を紹介されていた。この本では、現代を代表する知識人が歴史上の人物を一人づつ紹介している。さまざまな角度から一人の人物を浮き彫りにする中で、日本の心について考えさせられた。特に伊能忠敬のついて書かれた章では、彼の生き様を通して、自分の夢を実現するための重要なアイデアと実験が具体的に盛り込まれていて、現代でも通用する点が多々あり驚いた。『日本人の本質は何か』というテーマでは、これまで種々語られてきた。しかし、これからさらに色々な分野で語られるべきであろう。三千年にわたり、資源の無い国で、米作り、もの作りに知識と智慧を集約してきた日本人。自分が何者であるかを知り、これから何がしたいのか、何ができるのかを正しく語ることができなければ、世界に向けての提案も受け入れられない

☆世界標準
 海外出張するたびに感じるのは、文化の差というより、人間に対する考え方の差である。人間関係に緊張感があるからこそ、自己主張と交渉力、決断力だけでなく、バックにある幅広い知識、ウイットに富んだジョークや趣味が重んじられるのであろう。欧米の真似をする必要は無いが、今後サービス事業にかかわっていくためには、他人へのかかわり方を見直していくべきである。『会社に自分の仕事だけをしにくるのは悪である』と言っている評論家がいたが、挨拶から始めて 心遣いなど、世界標準の人間関係構築へ再教育を検討すべきであろう。

☆新生スコープ
 新生日立も、今後さらなるスピードアップが求められる。過去と同じことを繰り返して時間を無駄に使う余裕は無い。本スコープも、大先輩から引き継いだ財産を、さらに発展させていけるよう努力していきたい。ご指導お願いします。(な) 

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